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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)6752号 判決

原告 本多和夫

右訴訟代理人弁護士 木村壮

右同 菅原克也

右同 近藤康二

被告 ヤマト科学株式会社

右代表者代表取締役 森川巽

被告 金子弘治

右被告ら訴訟代理人弁護士 和田良一

右同 青山周

右同 宇野美喜子

右同 狩野祐光

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、金五万二〇〇〇円及び内金四万五〇〇〇円に対する昭和五一年八月一三日から、内金七〇〇〇円に対する昭和五四年二月一日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対する各その余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二〇分して、その一を被告らの平等負担とし、その余を原告の負担とする。

四  本判決は、右一に限りこれを仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  原告

(一)  被告らは、各自、原告に対し、金一二一万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五一年八月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告ヤマト科学株式会社は、原告に対し、右被告の、本社一階、室町別館一階、京橋別館一階及び厚木工場一階にそれぞれ存在する右被告の掲示板に別紙一記載の謝罪文を縦一メートル、横一メートルの紙に墨筆して五日間掲示するとともに、右被告発行のヤマトニュースに別紙一記載の謝罪文を五回引続き五号活字で掲載して右被告の全従業員にこれを配布せよ。

(三)  訴訟費用は、被告らの負担とする。

との判決並びに右(一)につき仮執行の宣言。

二  被告ら

(一)  原告の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決並び仮執行免脱宣言。

第二当事者双方の主張

一  原告の請求の原因

(一)  原告は、昭和四六年四月一日に被告ヤマト科学株式会社(以下「被告会社」という)に企画部促進課社員として雇用され、同年一〇月一日より第一営業部販売三課勤務を命ぜられ、その後昭和四七年四月一日に第一営業部販売四課に所属し、東京大学(以下「東大」という)医学部・理学部をはじめとして数大学との販売業務に従事してきた一方、昭和四九年四月九日から同五一年八月三〇日までの間被告会社従業員で組織するヤマト科学労働組合の執行委員(昭和四九年四月九日から同五〇年三月三〇日までの間は会計部長、同五〇年四月一日から同五一年八月三〇日までの間は組織部長)であった。

(二)  被告会社は、主として科学機器・医科機器を製造・加工し、並びにこれらの売買及び輸出入に関する業務を営む会社であり、更に被告金子弘治(以下「被告金子」という)は、被告会社に雇用されたその被用者であって、昭和四六年四月一日に被告会社から第一営業部販売四課課長に任命されて、じ来被告会社の販売ないし集金業務に従事し、原告の上司としての指導、監督にあたっている者である。

(三)  被告会社においては、原告のような販売業務員が被告会社の顧客から直接集金してきた代金の処理については、右販売業務員がその所属する営業部課の事務員〔第一営業部販売四課においては訴外小川恵子(以下「小川」という)〕に右代金を渡し、それ以降は右事務員が現(預)金入金票を作成し、同票と右代金を経理部に送り、経理部においてこれを売掛金取引一覧表にコンピューターを操作して入金扱いとして打込むという手順をとっている。このため集金された代金は、被告会社の売掛金取引一覧表には集金当日ないし翌日の入金扱いとなる。被告会社には領収証、領収証控、支払証の三枚一組からなる領収証綴があり、販売業務員が顧客から集金した場合は、顧客に対しては領収証を交付し、支払証に顧客から右領収証額面の支払いをなした旨の確認印を受ける。右領収証控には、被告会社が右領収証を発行したことを証するため発行した事務員が押印したうえ、販売業務員もまた確認の印を押すことになっている。更に、販売業務員は、当日の自己の業務内容を被告会社に報告すべくこれを記載した販売業務日報をその都度提出し、その上司は、販売業務員の一日の業務行動を監督するとともに入金については現(預)金入金票等を対比して正確性の承諾を与えることになっている。

(四)1  ところで、昭和五一年五月一一日、原告が得意先より被告会社に帰社した午後五時頃、被告金子は原告を呼び寄せ、原告に対し、「君は東大理学部植物学教室植物遺伝研究室石津様に納品してあるピペットウォッシャー洗剤No.21一袋価格金一万五〇〇〇円の代金を受取りながら会社に入金せず使い込んだ」と追求した。原告は、即座にその場において、同年一月二一日の販売業務日報東大各学部の同年一月限りの売掛金取引一覧表を点検したところ、販売業務日報によれば東大理学部よりの集金は同年一月二一日被告会社に入金しており、売掛金取引一覧表によれば同年一月二二日付で東大医学部よりの入金と記載されており、結局事務上のミスでまちがって処理されている事実が判明したので、「東大理学部の集金代金は被告会社に入金ずみである。当日は理学部からの入金のみであって、その金が東大医学部からの入金として記録されているのは事務上のミスである」旨被告金子に反論強調したが、被告金子は言下にこれを否定し、「東大理学部の石津様に電話して確めたが、石津様は『同年一月二〇日頃原告に現金一万五〇〇〇円を支払った。その際購入した製品は同学部において会計処理上科学技術研究費として扱うため科学技術研究費のために使用している領収証を被告会社で作成してもらい原告からこれを受取り、被告会社発行の領収証は必要ないので受け取っていない』と言っている。売掛金取引一覧表の昭和五一年一月二二日付入金一万五〇〇〇円については、東大医学部の野崎様の認印がある支払証が存在し、領収証が発行されているから、これが東大医学部の分であることは明確だ。この金は原告自身が野崎様より受取り、当日入金したものだ。結局、原告は昭和五一年一月二一日に東大医学部及び理学部よりの二件の集金をしたにもかかわらず、医学部よりの集金のみ入金し、理学部の集金は入金していない。」旨発言した。このように、被告金子は、原告が指摘したところの被告会社の事務上のミスでまちがって処理されて医学部に入金されたということに対し、支払証があると言ってこれを否定し、理学部よりの集金は入金されていないと強弁して語気鋭く原告の使い込みを追求し、原告に被告会社室町別館七階応接室まで同行を求めた。

2 原告と被告金子は、右応接室で対面し、原告が「私は業務日報の記載には確信を持っている。会社の売掛金取引一覧表に東大理学部の入金がないのであれば、事務上のミスでまちがって処理されているはずだ。十分調査したい。」旨発言したにもかかわらず、被告金子は、「事前に十分調査したが、原告の使い込みである。」旨発言し、更に、「君が集金した金を会社に入金すれば済むという問題ではない。早く結論を出せ。」と暗に退職申出をほのめかし、「君は自分の集金した一万五〇〇〇円を当日サイフに入れたまゝ持ち続けていて、それに気がつかないでいるとは、余程金があまっている。」、「俺は生活が苦しいので一万五〇〇〇円もの大金がサイフに入っていればすぐ気がつくだろう。お前はそんなに金持ちか。」などと侮蔑的な暴言を吐いた。原告は、被告会社の経理事務手続上のまちがいとも考えたが、被告金子が「入金手続等の調査を十分にした。」と発言し、「一万五〇〇〇円をどうするんだ。」と原告をどなりつけて畏怖させ、弾圧的な言動をもって原告に接したため、反論の余裕もなく、止むなくその場において「翌五月一二日現金一万五〇〇〇円を届ける。」旨発言した。

3 そこで、原告は、昭和五一年五月一二日、被告金子に現金一万五〇〇〇円を届け、かくして被告金子を通じて被告会社に右金員を入金した。ところが、被告金子は、更にその際、予め用意した「原告が集金代金を被告会社に故意に入金しなかった。」旨の経過を書いた被告金子自筆の文書を原告につきつけ、「経過はこの通りだから、被告会社が一万五〇〇〇円を受領するためにもこれにサインしろ」と要求し、原告もこれまでの被告金子の言動から止むなくこれに応ぜざるを得ず、これに署名押印し、被告金子に提出した。

4 ついで、被告金子は、その後まもなくして、被告会社の上司及び同僚に対し、「原告が東大理学部よりの集金を使い込んで被告会社に入金しなかった。」との事実を告げた。

(五)  しかしながら、「原告が東大理学部植物学教室植物遺伝研究室石津よりの入金一万五〇〇〇円を使い込んだ」との被告金子の前記主張は全く事実無根であった。すなわち、原告は、昭和五一年一月二一日に右石津より右現金を集金したが、同日これを原告所属の被告会社の第一営業部販売四課の事務職員の小川を通じて被告会社に入金したのである。もっとも、右入金は、被告会社における事務手続において前記東大医学部売掛金取引一覧表にまちがって振込まれていた。

(六)  被告金子は、あらかじめ右(五)の事実を知悉しておりながら、原告がヤマト科学労働組合の執行委員組織部長の要職にあって組合活動をなしていることを嫌忌するとともに、被告金子の事務上のミスを部下の原告に転嫁せんとして、故意に、前記(四)の1ないし4のとおり、原告を一方的にあたかも横領犯罪者のように決めつけて、侮辱し、虚偽の事実を他人に告げ、原告の信用、名誉を失墜させるとともに、原告から現金一万五〇〇〇円及び前記経過書を交付せしめたのである。

(七)  仮に、被告金子に右故意が認められないとしても、被告金子は過失により、原告に対し前記(四)の1ないし4のとおり不法行為をなしたのである。すなわち、被告金子としては、原告が集金した金を被告会社に入金したか否かを判断するについては、十分な調査を行い、慎重な検討をなす必要があった。ところで、原告作成の昭和五一年一月二一日付販売業務日報を検討すれば、原告は同日に東大理学部よりの集金しかなしていないことは容易に確認できる。また被告金子が原告に示した前記支払証(乙第一〇号証の二)を調査すれば、これは一月一二日銀行振込入金分のものであり、原告の右集金分に見合うものでないことは容易に確認できる。そのうえ、右支払証は、東大医学部からの金七〇万五〇〇〇円の一括入金が納品物別に分割処理されたものであり、右合計金が一連番号になっているものであることから、原告が昭和五一年一月二一日に集金した代金に見合うものでないことは容易に確認できる。そうすると、被告金子は、右事項を調査検討すれば、容易に「昭和五一年一月二一日原告が東大理学部より集金した金一万五〇〇〇円は被告会社に入金ずみである。」ことに気付いたにもかかわらず、右調査検討を怠ったため、「右期日の入金は東大医学部よりの集金を入金したものである。それ故東大理学部よりの集金は未納である。」と誤信し、原告に対し前記(四)の1ないし4のとおりの行為をなしたのである。してみれば、被告金子の右誤信に基づく行為は重大な過失による原告に対する不法行為にあたるものである。

(八)  そうすると、被告会社は民法七一五条に基づき、被告金子は同法七〇九条に基づき、それぞれ、原告に対し、被告金子の前記(四)ないし(七)の不法行為に因り原告が被むった損害を賠償する義務がある。

(九)  原告は、被告金子の前記(四)ないし(七)の不法行為に因り、次の1ないし3の損害を被むった。

1 財産的損害 金一万五〇〇〇円

右は前記(四)の3の被告金子に交付して被告会社に入金した金一万五〇〇〇円による損害である。

2 慰藉料 金一〇〇万円

被告金子の前記(四)ないし(七)の不法行為に因り、昭和五一年五月一二日から数日も経たない間に被告会社従業員の間に原告が被告会社の金を使い込んだという風評がたち、多くの従業員がこの風評を信じ込み、原告に対する従前の信用は失墜し、原告の名誉は著しく毀損されるなどして原告は多大の精神的苦痛を蒙むったが、この慰藉料は金一〇〇万円が相当である。

3 弁護士費用 金二〇万円

原告は、本件訴訟の提起の頃、原告訴訟代理人の弁護士木村壮、同管原克也、同近藤康二に対し本件訴訟の提起を委任し、その報酬として金二〇万円を支払う旨約した。

(一〇)  しかして、原告の毀損された右名誉を回復するためには、被告会社において前記第一の一の(二)のとおり謝罪文の掲示等をなすことが適当である。

(一一)  よって、原告は、被告らに対し、各自前記(九)の1ないし3の各損害金の合計金一二一万五〇〇〇円及びこれに対する本訴状が被告らに送達された日の翌日の昭和五一年八月一三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、更に、被告会社に対し、前記第一の一の(二)のとおりの謝罪文の掲示等を求める。

二  請求の原因に対する被告らの認否

(一)  請求の原因(一)のうち、原告がその主張のとおりヤマト科学労働組合の執行委員(会計部長・組織部長)であったことは不知。その余の事実は認める。

(二)  請求の原因(二)のうち、被告金子が被告会社から第一営業部販売四課課長に任命された時期が昭和四六年四月一日であることは否認し、その余の事実は認める。被告金子が被告会社から右課長に任命された時期は昭和四七年四月一日であり、同課は同五〇年四月三日以降営業本部営業部東京営業所販売四課と改称され現在に至っている。

(三)  請求の原因(三)のうち、原告のような販売業務員が被告会社の顧客から直接集金してきた代金の処理については、右販売業務員がその所属する営業部課の事務員(第一営業部販売四課においては小川)に右代金を渡し、それ以降は右事務員が現(預)金入金票を作成し、同票と右代金を経理部に送り、経理部においてこれをコンピューターを操作して入金日計表(売掛金取引一覧表は月末に作成するもので、この場合は売掛金取引一覧表ではない)に入金扱いとして打込む手順をとっていること、このため集金された金は、入金票が経理部に到達した当日ないし翌日入金日計表(売掛金取引一覧表ではない)に入金扱いとして記入されること、被告会社には領収証、領収証控、支払証の三枚一組からなる領収証綴があり、販売業務員が顧客から集金した場合は顧客に対しては領収証を交付し、支払証に顧客から右領収証額面の支払いをなした旨の確認印を受けること、右領収証控は被告会社が右領収証を発行したことを証するため発行した事務員が押印すること、販売業務員は当日の自己の業務内容を記載した販売業務日報を作成すること、上司が販売業務員の業務行動を監督することは認めるが、その余の事実は否認する。

(四)1  請求の原因(四)の1のうち、昭和五一年五月一一日午後五時頃被告金子が原告と話し合い、その際原告が同年一月二一日の販売業務日報を調べたこと、右日報に同年一月二一日東大理学部より集金した旨の記載があること、売掛金取引一覧表に同年一月二二日付で東大医学部より入金と記載されていること、被告金子が原告に対し、「東大理学部の石津に電話したところ石津が『 』内のように言っている。売掛金取引一覧表の昭和五一年一月二二日付入金に見合う東大医学部の野崎の認印のある支払証がある。」旨述べたこと、被告金子が原告に被告会社室町別館七階応接室まで同行を求めたことは認めるが、その余の事実は否認する。

2 請求の原因(四)の2のうち、原告と被告金子が右応接室で面談したこと、原告が「明日現金一万五〇〇〇円を届ける。」旨発言したことは認める、原告が被告会社の経理事務手続上のまちがいかとも考えたことは不知、その余の事実は否認する。

3 請求の原因(四)の3のうち、原告が昭和五一年五月一二日被告金子に現金一万五〇〇〇円を届け、かくして被告金子を通じて被告会社に右金員を入金したこと、被告金子が一万五〇〇〇円を受領するまでの経過を記した文書を原告に示し、原告が右文書に署名押印したことは認め、その余の事実は否認する。

4 請求の原因(四)の4の事実は否認する。

5 本件の経過は次の(1)ないし(5)のとおりである。

(1) 被告会社第一営業部販売四課では、売掛代金の回収を確実にする一助として納入後三か月以上未決済の売掛代金について被告会社の決算期前等の時期に債権確認書(乙第一号証)を得意先に送付し、回答を求めるシステムをとっている。

(2) 昭和五一年五月七日当時右販売四課の課長であった被告金子は客先である東大理学部植物遺伝学教室の石津に「債権確認書」を送り、未決済となっている昭和五〇年一一月二五日納入の洗剤No.21の代金一万五〇〇〇円について確認を求め、支払いの予定を照会した。これに対し、同年同月一一日右石津から電話で右代金一万五〇〇〇円は昭和五一年一月二〇日頃科研費(科学研究費)予算により現金で全額原告に支払った旨の回答があった。

(3) 右回答に接した被告金子は、右販売四課の連絡事務職である小川に命じて関係書類を揃えさせ、順次目を通した。まず東大理学部の昭和五一年四月分の「売掛金残高明細表」(乙第五号証)によって前記石津に督促した一万五〇〇〇円がその時点において未決済となっていることを改めて確認した。次に東大理学部の同年一月分の「売掛金取引一覧表」(乙第三号証)により右石津が一月二〇日頃原告に支払ったという現金一万五〇〇〇円がその頃入金されていないことを確認した。「売掛金取引一覧表」は得意先毎に作成され、これが更に月毎に綴られているので、被告金子は念のため原告が担当していた得意先の昭和五一年一月分の「売掛金取引一覧表」を繰ってみたところ、東大医学部の分(乙第四五号証)に一月二二日に現金で一万五〇〇〇円の入金があった旨の記載がみつかった。しかも、右一万五〇〇〇円の記載欄には、照合済の印が押捺されており、すでに原告から右一万五〇〇〇円に見合う「入金内訳明細書」が提出されていることがわかったので、被告金子は更に右「入金内訳明細書」(乙第八号証の二)を調べた結果、原告によって、右一万五〇〇〇円が昭和五〇年一一月七日納入の「ゼンアツキ(減圧機の書き誤り)修理」の代金として処理されている事実が判明した。被告金子が更に書類をみている間に、連絡事務職の小川から前記医学部の一万五〇〇〇円の入金の日頃に見合う医学部の「支払証」があり、これに「野崎」という印が押捺されているとの報告があった。

(4) そこで、被告金子は昭和五一年五月一一日午後五時頃外出先から戻った原告を被告金子の席に呼び、右の次第を話して事情を尋ねた。原告は、原告の「販売業務日報」の一月二一日分(乙第六号証)をみずから調べて同日前記石津のところへ回収に行っていることを確認し、また被告金子とともに前記「売掛金残高明細表」(乙第五号証)及び「売掛金取引一覧表」(乙第三号証)をみて入金の手続がとられていないことを確め、更に原告担当の東大の他の学部の「売掛金取引一覧表」を当り、前記売掛金取引一覧表の東大医学部の分(乙第四五号証)をも調べた。これを見た原告から、「この東大医学部の分は東大理学部の分と違うのかなあ。」との発言があったので、被告金子は、「この一月二二日の東大医学部の分については入金内訳明細書(乙第八号証の二)が出ているが。」と言って、右明細書を示し、「内容に間違いないのか。」と尋ねると、原告ははっきり「入金内訳明細書の作成に当っては十分調べて間違いなく書いている。」と言った。被告金子は、またこのとき、「一月二二日頃の時期に見合うものと思われる医学部の一万五〇〇〇円の(支払証)があり、これに野崎の印が押されているが、野崎という人はどこの人か。」と尋ねたところ、原告は「知らない。」と答えた。被告金子が野崎の印のある支払証について尋ねたのは一口に医学部といってもその中にはたくさんの講座(客先)があるため、支払証に押捺された「野崎」の印を手がかりにこの「支払証」は医学部のどこの講座に何を売った分かということを確認したかったためである。どこの講座に何を売ったかがわかれば、右「支払証」が前記乙第四五号証の「売掛金取引一覧表」にある分と合致するものか、あるいは別の分かがおのずから明らかになる筈であった。しかし、東大医学部の担当は当時原告一人であったにもかかわらず、原告は「野崎」を知らないと言ったのである。続いて原告から東大理学部の石津の分は被告会社に入れ忘れたかもしれないという話が出された。これを聞いた被告金子は、原告のため他聞を憚り五階の職場(五時を過ぎたため他の販売業務員等もそこに戻って来ていた)から七階の会議室に席を移し、更に二〇分程話し合った結果、原告から入れ忘れた一万五〇〇〇円は明日持参するとの申出があったので、話を打ち切り、右両名は五階の職場へ戻った。

(5) 同年五月一二日原告は、前日の言葉どおり一万五〇〇〇円を持参し、被告金子にこれを手交した。被告金子は小川に対し右の現金一万五〇〇〇円を渡し、入金手続をとるよう指示したのち、自分の机で、右入金が遅れた事情を簡単に記したメモを作成して、原告に示し、事実に誤りがないか確認を求めたところ、原告はこれを一読して、みずから年月日及び「上記のとおり相違ありません。本多」と記載し、捺印のうえ被告金子に返却した。

(五)  請求の原因(五)のうち、被告金子が原告主張のとおり原告が集金一万五〇〇〇円を使い込んだとの主張をしたことは否認し、その余の事実は認める。

(六)  請求の原因(六)の事実は否認する。

(七)  請求の原因(七)のうち、被告金子に過失があるとの主張は争う。

本件の経過は前記(四)の5記載のとおりであって、そもそも本件混乱が惹起されるに至ったのは、原告が昭和五一年一月二二日被告会社に入金した一万五〇〇〇円について事実と異なる「入金内訳明細書」(乙第八号証の二)を提出したことが原因である。しかも、原告は、同年五月一一日被告金子が事情を聴取し、共に関係書類に目を通した際右入金内訳明細書は間違いなく調べて作成した旨述べ、みずから入金を忘れているようだと申し出で、翌日一万五〇〇〇円を持参した。被告金子は、関係書類及び原告の右言を信じて、右金一万五〇〇〇円を預り、改めて入金手続をとったものであるから、被告金子には過失がない。

(八)  請求の原因(八)は争う。

(九)  請求の原因(九)のうち、被告会社の従業員の間に原告が被告会社の金を使い込んだという風評がたち、多くの従業員がこの風評を信じ込んだこと及び原告がその主張のとおり本件訴訟の提起を弁護士に委任し、報酬金の支払いを約したことは不知、その余の事実は否認する。

(一〇)  請求の原因(一〇)の事実は否認する。

(一一)  請求の原因(一一)は争う。

三  被告らの抗弁

仮に、原告がその主張のとおり被告金子の不法行為に因り請求の原因(九)の2の損害一万五〇〇〇円を被むったとしても、

(一)  被告会社は、原告に対し、昭和五一年五月一二日原告が被告金子に手交した金一万五〇〇〇円を原告に返還すべく、同年六月三日提供し、更に同年六月九日訴外平和相互銀行の原告の口座に振込んだ。しかるところ、右振込後原告より被告金子に対し、右一万五〇〇〇円を現金で返してもらいたい旨の申し込みがあったので、被告会社は、同年六月一一日平和相互銀行に振込んだ右金につき組戻しの手続をとり、その後連日のように原告に対し右金を返還すべく提供したが、原告は、この受領を拒否し、本件訴訟を提起するに至った。

(二)  そこで、被告会社は、昭和五一年一〇月一日右金一万五〇〇〇円を原告を被供託者として東京法務局に弁済供託した。

四  抗弁に対する原告の認否

(一)  抗弁(一)の事実は否認する。

(二)  抗弁(二)の事実は認める。

第三証拠関係《省略》

理由

一  原告が昭和四六年四月一日に被告会社に企画部促進課社員として雇用され、同年一〇月一日より第一営業部販売三課勤務に命ぜられ、その後昭和四七年四月一日に第一営業部販売四課に所属し、東大医学部、理学部をはじめとして数大学との販売業務に従事して来たこと、被告会社は主として科学機器、医科機器を製造、加工し、並びにこれらの売買及び輸出入に関する業務を営む会社であり、また被告金子は、被告会社に雇用されたその被用者であって、被告会社から第一営業部販売四課の課長に任命され、被告会社の販売ないし集金業務に従事し、原告の上司としてその指導、監督にあたって来たものであること、ところで、原告は、昭和五一年一月二一日に、被告会社が東大理学部植物学教室植物遺伝研究室に納品して売却したピペットウォッシャー洗剤No.21一袋の代金一万五〇〇〇円を右研究室の石津から集金して(以下右集金を「本件集金」という場合がある)、同日前記販売四課の事務職員の小川を通じて被告会社に入金したが、その後同年五月一二日にあらためて右集金の入金として被告金子に現金一万五〇〇〇円を交付し、被告金子を通じて被告会社に右入金をなしたことは当事者間に争いがない。

二  しかして、《証拠省略》を総合すれば、次の(一)ないし(九)の各事実が認められる。

(一)  被告会社においては、原告のような販売業務員が被告会社の顧客から直接集金して来た代金の処理については、右販売業務員がその所属する営業部課の連絡事務職(第一営業部販売四課においては小川)に右代金を渡し、それ以降は右事務職が現(預)金入金票を作成し、同票と右代金を経理部に送り、経理部においてこれをコンピューターを操作して入金日計表に入金扱いとして打込むという手順をとっている。このため右入金は、入金票が経理部に到達した当日ないし翌日入金日計表に入金扱いとして記入される。被告会社には領収証、領収証控、支払証の三枚一組からなる領収証綴があり、販売業務員が顧客から集金して来た場合は顧客に対しては領収証を発行し、支払証に顧客から右領収証額面の支払いをなした旨の確認印を受け、右領収証控には、被告会社が右領収証を発行したことを証するため発行した事務員が押印する。顧客が銀行振込により代金を支払った場合は、右領収証、支払証は発行されないが、特に顧客に要求された場合は右領収証、支払証が発行される。また被告会社の顧客である大学が科学研究費予算で被告会社に代金を支払った場合は、右三枚綴の領収証等の用紙を使用せず、見積書、請求書、領収証が一体となった書類を使用し、領収がなされる。販売業務員は当日の自己の業務内容を被告会社に報告すべくこれを記載した販売業務日報をその都度提出し、その直属上司(課長)がこれを閲読してこれに押印する。右入金について如何なる物品代金の納入であるかについての消込作業は、右入金後原告のような販売業務員が入金内訳明細表に入金した代金の売却物品の明細を記載してこれを連絡事務職に渡して、これに基づき右消込作業(売掛金取引一覧表、売掛金残高明細表に入金の記載等)が進められる。販売業務員が顧客から集金して来た現金を入金のために連絡事務職に渡すときにはどの顧客からの集金であるか知らすことになっているが、その方法は、必ず文書(メモ等)によるよう指示されておらず、口頭でなされることもある。

(二)  原告は、前記一において判示のとおり、昭和五一年一月二一日に東大理学部の前記石津より本件集金一万五〇〇〇円をなし、同日被告会社に帰社後前記連絡事務職の小川に右金一万五〇〇〇円を渡して入金したが、その際、口頭で、小川に対し、過って、右集金は東大医学部からのものである旨伝え、他に集金先に関する資料は何ら渡さなかった。そして、同日原告は販売業務日報を作成(但し日付を昭和五一年二月二一日と誤記)し、東大植物遺伝の石津から回収と記載して、これを上司の被告金子に提出したところ、被告金子はこれを閲読して押印し保管した。

翌日の一月二二日に小川は、右入金につき原告からの伝言どおり、入金先名を「東大医学部」、金額を「一万五〇〇〇円」と記載した現(預)金入金票を作成して、この入金票と右現金を経理部に送ったところ、同部において入金日計表に右同日付東大医学部からの入金扱いとして打込み、入金手続がとられた。

ついで、同年一月二七日頃小川は、右入金につき原告に入金内訳明細を記載させるために、同日付入金内訳明細書に、「顧客名」を「東大医学部」、「入金月日」を「昭和五一年一月二二日」、金額を「一万五〇〇〇円」、「入金種別」を「現金」と記入してこれを原告に渡したところ、原告は、右入金につき小川に問い合せをせずに、被告会社が現金で支払いを受ける場合とは現金書留又は小切手で顧客から支払いを受けることをも示し、右入金内訳明細書記載の入金はこの場合にあたり原告自身が集金して来たものではないと軽信し、売掛金残高明細表及び取引一覧表をみて、東大の場合二か月か三か月位して入金されるケースが多いので、昭和五〇年一一月七日の東大医学部に対する減圧器修理費一万五〇〇〇円に相違ないと勝手に即断して、昭和五一年二月一〇日頃右入金内訳明細書に昭和五〇年一一月七日納入のゼンアツキ(註 ゲンアツキの誤記)修理、売上番号七六一〇〇四一、数量一、金額一万五〇〇〇円と記載して、右の頃小川に交付した。そこで、小川は昭和五一年二月一二日右入金内訳明細書の「照合」欄及び現(預)金入金票の「区分」欄にそれぞれ、照合済のしるしとして「N」の記入をして、消込内訳明細書を作成し、東大医学部の売掛金残高明細表に右入金の記載をし(その後右売掛金残高明細表は前記販売四課において保管)、現(預)金入金票と右消込内訳明細書を上司の被告金子に渡したところ、被告金子はこれに認印をしたので、これらは電算機課に送付され、右入金内訳明細表のとおりの消込作業が進められた。

(三)  一方、小川から同人が昭和五〇年一二月二二日頃作成した同日付入金内訳明細書(「顧客」を「東大医学部付属病院」、入金日を「昭和五〇年一二月一七日」、金額を「一一万七六〇〇円」、入金種別を、「富士室町振込」と記載し、請求番号が特記されているもの)が原告あて交付され、その入金内訳明細を記入するよう求められたところ、原告は、昭和五一年二月一二日に右請求番号を調査して前記減圧器の修理費等を右入金内訳明細書に記入して小川に手渡した。ところが、その後小川から右減圧器修理費についてはすでに消込みずみである旨の注意を受けて右入金内訳明細書をつき返されたので、原告は、同書に一旦記入した「右減圧器修理費」を抹消したうえ、売掛金残高明細表中の納入日の古い昭和五〇年一月二〇日納入のアンバーライトB―B再生代金三〇〇〇円、同年二月一八日納入の同B―一〇代金六〇〇〇円、同年二月二七日納入の同B―五代金六〇〇〇円につき何らの調査もせず、多分これらが入金されたものと過って即断して、右入金内訳明細書の末尾に右各代金の明細を書き加えて、これを小川に渡したところ、その後これに基づき右物品代金入金の消込作業がなされた。

更に、東大医学部の脳研心理学教室の訴外野崎某から被告会社が同教室に別途納入した物品代金七〇万五〇〇〇円について昭和五一年一月一二日に銀行振込の方法で被告会社に支払いがあったが、同年一月二三日頃右野崎から原告に右の事実の連絡があり、これにつき領収証を一部発行して慾しいとの要求があったので、原告は、被告会社の前記三枚綴の領収証を渡したうえ、右野崎に、東大医学部、一万五〇〇〇円と記入した日付の記載のない支払証に「野崎」の印を押してもらった。そこで、原告は直ちに右支払証を被告会社に渡した。

(四)  被告金子が前記販売四課の課長に任命された時期は昭和四七年四月一日であり、同課は同五〇年四月三日に営業本部営業部東京営業所販売四課と改称されて、現在に至っている。被告金子は右課長として納品して売上計上されてから三か月以上経過しても未だ代金の支払いがない分につきその納品先に支払いの督促をしていたが、昭和五一年五月七日に顧客の東大理学部植物遺伝学教室の石津に「債権確認書」を送付して前記一において判示の洗剤の代金一万五〇〇〇円が未決済となっているのでこれを支払うよう求めたところ、同年五月一一日右石津から前記連絡事務職の小川に対し電話で、右代金はすでに全額支払いずみである旨の回答があった。小川が被告金子に右伝言を知らせたので、被告金子があらためて電話で右石津に問い合せたところ、同人は同年一月二〇日頃右代金を科研費(科学研究費)予算により現金で全額原告に支払っている旨回答した。そこで、被告金子は、小川に命じて関係書類を揃えさせて、これらを調査したところ、東大理学部の昭和五一年四月分の「売掛金残高明細書」及び「売掛金取引一覧表」には前記洗剤の代金一万五〇〇〇円が入金になった旨の記載はなく、昭和五一年一月分の「売掛金取引一覧表」の東大医学部の分につき同年一月二二日現金で一万五〇〇〇円の入金があった旨の記載があって、照合ずみの印が押捺されていることが確認され、更に右入金については前記(二)記載の「入金内訳明細書」が作成されていることがわかった。

(五)  一方、小川は、右東大医学部よりの入金は前記石津から電話で連絡のあった東大理学部の分ではなかろうかとの疑念を抱いたので、被告会社の販売管理課に、東大理学部について昭和五一年一月二二日頃入金の領収証は発行されていないか問い合せたところ、同管理課の係員から、東大理学部については右の頃発行の支払証はないが、東大医学部につき一万五〇〇〇円の「野崎」の印が押捺されている日付の記載がない支払証がある旨の回答があった。そこで、小川は、即刻被告金子に対し、右事実を報告して、右支払証には日付がないが前後の支払証の日付からいって東大医学部の右入金の頃のものでないかと思われる旨伝えた。

(六)  昭和五一年五月一一日午後五時頃原告が外出先から被告会社に戻って来たところ、被告金子は、原告を被告金子の席に呼び寄せ、原告に対し、「東大理学部からの前記洗剤の代金が被告会社に入金になっていないが、どうしたのか。」と尋ねて、前記(四)のとおり石津から電話があった次第を伝えた。原告は、その場にあった前記関係書類(販売業務日報、売掛金残高明細表、売掛金取引一覧表)を調査して、昭和五一年一月二一日に原告が前記石津から回収を行っているところ、昭和五一年一月二二日に東大医学部から一万五〇〇〇円の入金があった旨の処理がされているが、東大理学部についてはそのような入金処理がされていないことを確認した。しかし、原告は、右販売業務日報には昭和五一年一月二一日に東大医学部から回収した旨の記載がないので、右入金処理は、東大理学部からの分を東大医学部からの分であるとまちがってなされているのではなかろうかとの疑問を抱いたので、被告金子に対し、「東大医学部の入金分は東大理学部の分と違うかなあ。」と発言した。被告金子は、原告に前記(二)記載の入金内訳明細書を示して、「東大医学部の右入金については入金内訳明細書が出ているが、この内容はまちがいないか。」と尋ねた。これにつき原告は、「入金内訳明細書はまちがいなく書いている。」と答えた。そして、更に被告金子は原告に対し、「東大医学部の入金分については一月二二日頃の時期に見合うものと思われる東大医学部の一万五〇〇〇円の支払証があり、これに野崎の印が押してあるが、野崎というのはどこの人か。」と尋ねたところ、原告は「知らない。」と答えた。原告は、東大医学部の右入金処理は東大理学部の入金を誤って処理したものであるとの疑問を抱いていたが、被告金子から東大医学部の入金についてはこれを証する支払証がある旨言われたので、東大理学部からの本件集金については被告会社に入金することを忘れていたかもしれないと考えなおし、被告金子に対し、「東大理学部の石津先生からの集金は被告会社に入れ忘れたかもしれない。」と言い出した。

そこで、被告金子は、原告のために他聞を憚り、原告を従業員のいる五階の職場から誰もいない七階の会議室につれて行って同所で更に約二〇分位話し合った。その間、被告金子が原告に対し、「回収した金を入れ忘れてもらっては困る。」と言ったところ、原告は「入れたつもりなんですけれど。」と言って、前記疑念を払拭しきれない様子を示した。これに対し、被告金子は原告に「一しょに調べたとおり東大理学部の分は入金の記載がないし、医学部の分は入金内訳明細書がまちがいなく書いてあるというのであればどうなんだ。入れ忘れた金はどうするのか。」と言って、暗に入金を迫った。そこで、原告は、「今日は持ち合せがないので明日持って来る。」と答えた。その場はそれで終り、原告と被告金子はともに前記五階の職場に戻って来た。

(七)  翌五月一二日に原告が現金一万五〇〇〇円を持参して、被告金子に本件集金の入金として手渡したところ、被告金子は、小川にこれを交付して右入金処理をするよう依頼したところ、小川が右措置をとった。原告が被告金子に右現金を手渡した際被告金子はみずから作成した別紙二のとおり記載した文書(以下「本件文書」という)を原告に示して、これに署名押印するよう求めたところ、原告は右文書を一読したのち、右文書の末尾に「上記の通り相違ありません。本多五一年五月一二日」と記入して押印して、右文書を被告金子に返却した。

(八)  被告金子は、早速右文書を上司の吉沢次長、山田部長及び田中常務に見せて、原告が本件集金を被告会社に入金することを忘れて入金していなかった旨を説明し、更にその後同年六月頃同僚の設備課の妹尾課長に右の事実を伝えたところ、後記(九)記載のとおり本件の真相が解明されるまでの間一時被告会社の従業員の間に原告が本件集金を使い込み横領していた旨の噂が流れた。

(九)  原告は、前記東大医学部の入金処理は東大理学部よりの本件集金の入金がまちがってなされたものであるとの前記疑念をたち難かったので、その後前記支払証に押印の東大医学部の野崎を調査して同人に面談するなどして調査したところ、前記東大医学部の入金処理は東大理学部よりの本件集金の入金がまちがってなされたものであるとの確信を抱くに至った。そこで、原告は昭和五一年六月二日頃被告金子に右の事実を伝えたところ、被告金子は、みずから右野崎に逢って事実を確認したいと考え、同年六月二日原告と同道して、右支払証に押印している東大医学部脳研心理学教室の野崎に面談して同人から事情を聴取し、その後被告会社において関係書類を再度精査した結果、前記(二)、(三)の事実が判明し、前記東大医学部の入金処理は東大理学部よりの本件集金の入金がまちがってなされたものであることが確認できた。

三  原告は、その本人尋問において、原告は本件集金を小川に渡して被告会社に入金した際東大理学部からの集金であると伝えたが、被告会社の過誤で右入金が前記東大医学部の入金であると処理されたものであり、また昭和五一年五月一一日被告金子は原告に対し原告が本件集金を使い込んで横領したと決めつけて、請求の原因(四)記載の侮蔑的な発言をし、右横領の事実を他人に告げたなど右二の認定に反する供述をしているが、右供述部分は前掲他の証拠と対比して、措信できず、他に右二の認定を覆すに足る証拠はない。

四  前記一及び二において判示の事実によれば、請求の原因(四)記載のとおり、被告金子が昭和五一年五月一一日原告が本件集金を横領したと決めつけて、侮蔑するなどしてこれにより、翌二二日原告に現金一万五〇〇〇円及び右横領の事実を記載した文書を交付させ、更に右横領の事実を他人に告げたことは認められないが、原告が本件集金を被告会社に入金していたにもかかわらず、被告金子において昭和五一年五月一一日原告に対し原告が本件集金を被告会社に入金することを忘れて入金していなかったとしてその入金を求めて、翌一二日原告に現金一万五〇〇〇円を被告金子あて交付させて被告会社に入金させるとともに本件文書に前記記入、押印をさせ、更に右入金忘れの事実を被告金子の前記上司及び同僚に告げ、これが原因となって被告会社の従業員の間に原告が本件集金を横領したとの風評が一時たったことが認められる。前記二において判示の事実によれば、昭和五一年五月一一日の話し合の際原告は被告金子に「本件集金を被告会社に入金することを忘れていたので入金する。」旨言い出し、翌一二日これを入金したものであるが、前記二において判示の事の経緯に徴すれば、原告の右再度入金の決意は、被告金子の行為に起因しない原告の全く自発によるものではなく、被告金子が原告に右入金をするよう暗に迫ったことによるものというべきであるから、原告の右入金は被告金子が原告に求めてなさしめたものといわなければならない。

五  ところで、被告金子が前記四において認定の各行為をなした際、被告金子において、原告がすでに本件集金を被告会社に入金していたことを知っていた場合(すなわち故意がある場合)、又は右入金の事実を知らなかったことにつき過失があった場合には、被告金子の前記四において認定の各行為は原告に対する不法行為になるものといわなければならない。

原告の請求の原因(四)ないし(八)記載の不法行為の主張は、前記四において認定した被告金子の各行為を内容とする不法行為の主張をも含むものと解される。

六  しかしながら、前記一及び二において判示の経過に徴すると、被告金子に右故意があったことは認め難い。

七  そこで、被告金子に右過失があったか否かについて検討する。

会社の従業員が、会社のため集金して来た金を会社に入金していたにもかかわらず、その入金を忘れていたとして再度右入金をさせられるとともに本件文書の如き文書に原告がなしたような前記認定の記入、押印をさせられて、右入金忘れの事実を他人に告げられた場合には、これにより、従業員の信用ないし名誉が毀損され、従業員が財産上及び精神上の損害を被むって重大な結果を招くことは自明の事柄であるから、従業員の上司が右のような行為をなすにあたっては、従業員が右入金をすでにしていないかを十分調査し、従業員にもこれにつき弁明をさせて十分調査をする機会を与えるべき注意義務があり、右上司においてこれを怠ったときには同人に過失があるものといわなければならない。しかして、右の見地に立脚して本件をみるに、前記一及び二において判示の事実によれば、原告の上司である被告金子は前記四において認定の行為をなした際原告がすでに本件集金を被告会社に入金していたことを知らずこれを入金していないものと信じていたものであるが、被告金子が右のように信じた事由は、前記二において認定の被告会社の売掛金取引一覧表、売掛金残高明細表(いずれも東大理学部及び医学部とも)、入金内訳明細書等にそれぞれ東大医学部より入金の記載しかなく東大理学部よりの本件集金の入金の記載はないこと(これは、原告が本件集金を小川に渡して被告会社に入金した際その集金先を誤って東大医学部であると告げたことに端を発している。)、東大医学部の野崎の押印のある金額一万五〇〇〇円の前記二において認定の支払証が被告会社に保管されておって、小川からこれは右東大医学部の入金の頃のものではないかと思われる旨の報告があったこと、原告が「右入金内訳明細書はまちがいなく記載しており、東大理学部よりの本件集金は入金することを忘れていたかもしれない。」と発言したことによるものである。しかし、前記一及び二において判示の事実によれば、被告会社においては当時原告のような販売業務員が集金して来た金を連絡事務職に渡して入金する際その集金先を告げるにあたっては必ず文書(メモ等)によることを義務づけられてはおらず、口頭によることも許されていたところ、「医学部」と「理学部」の発音にはきわだった相異がないのでこれを口頭により告げるときにはついまちがいやすいことが推察できること、野崎の押印のある前記支払証には日付の記載がなく、このことは被告金子も知っており、しかも、当時被告会社においては、支払証は、顧客から現金で納品代金が支払われる場合だけに限らず、銀行振込による支払いの場合にも顧客から要求があれば、被告会社の前記二において認定の三枚綴の領収証が発行されて支払証に右顧客の押印をもらって被告会社においてじ後これを保管されることもあること(前記一及び二において認定のとおり被告金子は、長年被告会社の前記販売四課の課長として勤務しているものであるから、右の点は十分知悉していたものと推認できる。)、原告が毎日その都度その業務活動を記載して上司の被告金子に報告することを義務づけられていた販売業務日報の昭和五一年一月二一日の分には東大理学部植物遺伝の石津からの回収(集金)の記載しかなく、同日又はその前後の日時の原告の作成した販売業務日報には東大医学部よりの集金の記載はないところ、このことを事由に昭和五一年五月一一日の前記話し合いの際原告は前記東大医学部の入金処理は東大理学部よりの本件集金の入金がまちがってなされたものではないかとの疑問を抱いて被告金子にこのことを繰返し伝えていること、従って、その際原告が前記入金内訳明細書の記載があやまりない、又は本件集金の入金を忘れていたかもしれない旨発言したとしてもそれは確信をもって発言しているものではなく、被告金子の質問ないし追求に対し半ば困惑し、自己の右発言についても疑問を投じていたものというべきであること、そうすると、右の諸点に着眼して、被告金子としては、早急に結論を出さず、果して、前記入金内訳明細書の記載が正しいかどうか、また前記支払証が東大医学部の前記入金の裏付になるかどうかにつき疑問を抱いて、なお更にみずから調査をし、又は原告をして前記支払証に押印の野崎を調査させる(原告は前記話し合いの際被告金子に「野崎は知らない。」と答えているが、原告は、被告金子から四か月位いも前のことにつき事前に何の予告もなく右野崎のことを質問されて咄嗟に右のとおり答えたものにすぎないから、右回答により被告金子において右野崎の調査はできないと即断することは早計である。)などして原告に今一度十分調査をするよう指示してその機会を与え、その結果を待つべきであったというべきであること(そうすれば、原告が本件集金をすでに被告会社に入金していたことが判明した筈である。)、しかるに、被告金子は、被告会社の終業時ま際のあわただしい時間帯の短時間の前記話し合いのみで、原告が前記疑問を呈していたにもかかわらず、みずから十分な調査をつくしておらず、また原告に十分な調査をするよう指示してその機会を与えずに、暗に原告に前記再度の入金をするよう求めて、前記四において認定の各行為をなしたものであるから、被告金子に過失があったものと断ぜざるを得ない。

八  そうすると、被告金子は、過失により、原告が本件集金を被告会社に入金することを忘れていたものとして昭和五一年五月一二日原告に現金一万五〇〇〇円を交付させて被告会社に再度入金させるとともに、本件文書に前記記入、押印をさせ、更にその頃右入金忘れの事実を前記上司及び同僚に告げて原告に対し不法行為をなしたものであるが、前記一及び二において判示の被告会社の目的、被告金子の地位、右行為をなした動機等によれば、被告金子の右行為は被告会社の事業の執行につきなしたものであることが認められる。してみれば、被告金子は民法七〇九条に基づき、被告会社は同法七一五条に基づき、各自原告に対し、原告が右不法行為に因り被った損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

九  そこで、進んで、原告が右不法行為に因り被った損害につき検討する。

(一)  財産的損害

前記一及び二において判示の事実によれば、原告は、被告金子の前記不法行為に因り原告が昭和五一年五月一二日被告金子に交付して被告会社に入金した現金一万五〇〇〇円相当の損害を被むったことが認められる。

(二)  慰藉料

前記一及び二において判示の事実及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和五一年五月頃被告会社の従業員で組織されたヤマト科学労働組合の執行委員の要職にあったが、被告金子の前記不法行為に因り、原告の信用ないし名誉が毀損されるなどして精神的苦痛を受け、右不法行為を原因として被告会社の従業員の間に原告が本件集金を横領したとの風評が一時たって一層原告の右精神的苦痛が深まったことが認められる。しかし、前記一及び二において判示の事実によれば、原告が被告会社に再度入金した現金は比較的少額であること、右風評がたったのは一時的な短期間であり、前記のとおり本件の真相が解明されたのちは右風評はたち消え、原告の毀損された信用ないし名誉も回復されたものと推認できること、被告金子が前記不法行為をなしたのは、原告が本件集金を小川に渡して被告会社に入金した際集金先を誤って東大医学部であると告げ、その後前記入金内訳明細書に十分調査をせずに誤った記載をして極めて杜撰な事務処理をしたため被告金子の前記誤信を招き、更に昭和五一年五月一一日の前記話し合いの際原告が終始曖昧な態度をとって被告金子の前記誤信を助長させるような発言をしたことによるものであることなどを考え合すと、原告の右精神的苦痛に対する慰藉料は金三万円をもって相当と認める。

(三)  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告が本件訴訟の提起の頃本件訴訟の提起を原告訴訟代理人の弁護士木村壮、同菅原克也、同近藤康二に委任して、その報酬として金二〇万円を支払う旨約したことが認められる。しか人前記認定の損害額等を考慮すると、右報酬金のうち、金七〇〇〇円(前記認定の損害額の約一五パーセントに当るもの)を被告らに損害として賠償させるを相当と認める。

一〇  原告は、被告会社に対し、名誉の回復のために、前記第一の一の(二)のとおりの謝罪文の掲示等を求めているが、前記九の(二)において認定のとおり原告の名誉は回復されているものであるから、原告の右請求は理由がない。

一一  そこで更に被告ら主張の抗弁について検討する。《証拠省略》によれば、抗弁(一)記載の事実が認められるところ、抗弁(二)記載の事実は当事者間に争いがない。しかし、仮に、抗弁(二)記載の被告会社の弁済供託が原告が本件訴訟において被告らに対し請求している損害賠償債権についての弁済供託であるとしても、本件記録によれば、原告は、昭和五一年八月四日本件訴訟を提起して、その後被告らに対し右債権の支払いの請求を続け、その受領を拒否していないことが認められるので、被告会社が右弁済供託をした時点(昭和五一年一〇月一日)においては原告に右債権受領拒否の事実はないから、右供託は供託原因を欠き無効であるといわなければならない。

一二  以上判示したところによれば被告らは、各自原告に対し、前記九の(一)ないし(三)の各損害金の総合計金五万二〇〇〇円並びに前記九の(一)及び(二)の各損害金の合計金四万五〇〇〇円に対する本件記録上明らかな本訴状が被告らに送達された日の翌日の昭和五一年八月一三日から、前記九の(三)の損害金七〇〇〇円に対する本件訴訟の判決言渡し日の翌日の昭和五四年二月一日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものといわなければならない。

一三  よって、原告の被告らに対する各請求は、右一二の各金員の支払いを求める限度において理由があるからこの部分を認容して、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、なお仮執行免脱宣言の各申立は相当でないから却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎末記)

〈以下省略〉

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